Romancing SaGa 2: Revenge of the Seven

Romancing SaGa 2: Revenge of the Seven

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レビュー考察編 『涙を拭いて』の意味と理由
By prettytail
字数制限によりレビューに含めることができなくなったため、ガイドとして公開することになりました。※ネタバレを多数含む点にご注意ください。
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人形皇帝コッペリア
筆者にオリジナル版の経験があることは、レビュー批評編・感想編の中で触れたとおりです。とはいえ、全ての演出を体験したわけではありません。コッペリアなる人形が皇帝継承できるというのも知識として知っていたに過ぎず、実際に彼女を皇帝にするのは本作が初めてでした。

コッペリアの皇帝継承は他の皇帝と違い、玉座ではなくヒラガ屋敷内でひっそりと行われます。そのため、継承した事を文官に納得させるのにはかなり難儀をしたのではないかと思います。人間と同等、あるいはより高い知性を持ち得る亜人種ならともかく、人形がある日突然宮殿にやってきて自分が皇帝である旨を告げても、容易には信じて貰えなかったであろうことは想像に難くありません。かつて皇帝と行動を共にしていたとしても、年月が経過していればそれを知る者は既にこの世にはなく、説明に難渋したかと思うと不憫です。

話を戻しましょう。人形皇帝は一代限りとなっており、再度皇帝継承する事はできません。皇帝退位後はパーティーメンバーとして参加させることもできず、あろうことか宮殿倉庫に放置されたままになっています。これを後の皇帝が発見する場面で流れるBGMが名曲『涙を拭いて』(作曲 植松伸夫)なのですが、このなんとも哀切極まりない旋律を聞いたとき、筆者は最初、奇妙な違和感を感じてしまいました。誰の涙なのか、また、なぜ泣いているのかが分からなかったため、この演出の意図が理解できなかったからです。
コッペリアは不幸だったか
泣いているのは果たして誰か。忘れ去られた人形を憐れに思い、皇帝が流した涙を意味しているのでしょうか。もしそうだとすれば、コッペリアを見つけた後、そのまま放っておくのはそれこそ奇妙だと言わざるを得ません。しかるべき弔いをする、あるいは彼女の生家であるヒラガ屋敷に送還することもできたはずです。ジャングルの奥地から石船を持ち帰るのに比べれば、人形を運び出すなど容易いことでしょう。皇帝の台詞「壊れた人形だ…。」にしても、コッペリアに外形的欠損が認められないことから、単に以前のようには動かない、あるいは喋らないといった意味の比喩であるとも考えられます。そもそも皇帝の意識の中には人形皇帝の記憶も受け継がれているのですから、かつての自分(の抜け殻)を見つけたからといって泣いたりはしないでしょう。

筆者の帝国記において人形皇帝は七英雄の一人を撃破しており、年表にも記載されています。前皇帝時代、自動人形としてパーティーに加わるも、皇帝が人魚を追って海に消えてしまい、148年後に即位。先帝が愛した人魚の生まれ変わりともいえる踊り子と運命的な出会いを果たします。そして共に先帝の遣り残した仕事、スービエ討伐を成し遂げるという大変ドラマチックな人生でした。その後も他の歴代皇帝と同様、天寿を全うしたはずです。正しく埋葬されなかったのは、人形皇帝の身体が生身の人間と異なるために、文官ら周囲の人間が再び覚醒する可能性を顧慮したことが原因でしょう。やがて倉庫に仮置きされたものの、後の時間経過によって彼女を知るものがいなくなったことで、そのまま忘れられてしまったのではないかと推察できます。

冒頭、人形皇帝即位の苦労を冗談交じりに推量しました。しかしながら前段で述べたように、筆者のコッペリア帝史に哀しむ要素は全くありません。彼女は幸福だった。ただの自動人形であったにもかかわらず、皇帝継承によって人間としての命、すなわち人の心を得、人として生涯を終えることができたのですから。では、かの曲は一体何に向けられた哀歌なのか。そう、我々は知っています。かつて人でありながら、人の心を失った者達がいたことを。
慈悲と救済
レオン帝を始め、歴代の皇帝たちは皆信じていたはずです。七英雄はヴィクトールの仇であるだけではなく、世界にとっての脅威でもある。それを討つことは正義に適うと。しかし「七英雄の記憶」の回収が進むにつれ、彼らの身に起きてしまった悲劇、彼らが戦っている理由が徐々に明らかになっていきました。そして彼らが死ねない理由も、また。

同化の法によって新たな肉体を得たとしても、それは単に肉体の寿命が延びただけに過ぎず、外法による人間を超越した力の獲得なくしてターム掃滅は叶わない。取り込んだ対象が影響し、己の心を失う危険があっても選択の余地はない。これが七英雄が人であることを捨てた最初の契機です。彼らにとってクィーンは確かに難敵でした。とはいえ、それは彼らがまだ人の姿を保っていた頃の話であって、今の七英雄に敵うものなど、もはや皇帝以外にはいないでしょう。そのうえ「血の誓い」によって、本体が打ち滅ぼされない限り何度でも復活できる不死とも呼べる存在になっています。

七英雄が仇敵と探し求める大神官は遥か昔別の次元に転移しており、同じ世界にはもう存在しません。また、たとえ転移先を探し当てたとしても、もうこの世にはいないかも知れないのです。もしその事実に彼らが到達したとき、彼らの怨念は一体どこへ向かうのか。想像も付きません。かくのごとく恨みを抱えたまま悠久の時を生きる様は、本当の意味で憐れであると言えましょう。かつての人の心を取り戻すことがもう叶わないのであれば、彼らを討つことがせめてもの慈悲ではないか。それは彼らを真に救うことではありませんが、少なくとも怨嗟の輪廻から解放してやることはできます。
泣いていたのは
皇帝が倉庫でコッペリアをそのままにしておくのは、筆者にはそれが"そっとしておく"こと、彼女への気遣いのように見えました。「かつて慣れ親しんだ玉座に近いこの場所で、ゆっくり休みなさい」。そう皇帝は言っているように思えたのです。
役目を終えて動かなくなった人形を見つけたとき、皇帝はコッペリアの心の在り処に気付いたのではないでしょうか。片や人形でありながら人間の命を授かり、人として生涯を終えたコッペリア。片や人として生を受けながらも人であることを捨て、死ぬこともできず彷徨い続けている七英雄。この対照に想いが至った時、人の心を無くしてしまった七英雄もまた、救われねばならない存在であると皇帝は悟った。そして同時に、涙したに違いありません。

この涙が、ただ七英雄に対する憐憫の情に起因しただけのものだったのか。それとも七英雄掃討という使命の、その途方もない遠大さに圧倒され、思わず流したものであったのかまでは分かりません。したがって、この点については解釈が分かれるところです。
いずれにせよ、"皇帝の戦いへの新たな決意を表現するための情緒的演出"、これが件の場面における本当の意味であり、『涙を拭いて』が流れる理由だと筆者は考えます。かの曲は哀調を帯びたメロディーの中にも、悲しみに暮れたまま立ち止まっていることを潔しとしない力強さがあり、皇帝の心情とも合致します。この結論に辿り着き、ようやく筆者は初めに得たあの奇妙な違和感を払拭することができたのでした。

コッペリアの発見は曲と同名の秘密の実績として採用されています。実績のキャプションが、「倉庫で眠りにつく先代皇帝を見つけた」とネガティブな表現で書かれていないことからも、この演出は悲痛な印象を与える目的で用意されたものではない、とみるのが妥当でありましょう。
6 Comments
prettytail  [author] 16 Nov, 2024 @ 1:36pm 
悲観論に抗ってみました。
yoshio 16 Nov, 2024 @ 2:24am 
これはクリティカルでユニークな考察。
prettytail  [author] 7 Nov, 2024 @ 1:30am 
ガイドの新たな使い道を閃いたとは言えるかもw
SAKURA 7 Nov, 2024 @ 1:25am 
いい事じゃーんw
たくさん書く事があるのはそれだけやってそれだけ好きなんだから:happyz:
2ed 7 Nov, 2024 @ 1:15am 
:poyo::poyo:
prettytail  [author] 7 Nov, 2024 @ 1:15am 
レビューの一部をガイドで公開って、すっごく恥ずかしいんですけど :steamlaughcry:
まぁ、仕方ない :steamsad: